「劇場版コードブルー ドクターヘリ緊急救命」を観てきました。
今作には重大なサプライズがいくつかありますが、それらにはできるだけ触れないように、これから観る人も読めるように感想を述べてみます。
これまでシリーズを見守ってきた人々へ捧げられた物語
ドラマの初回放送からシーズン3まで、リアルタイムで観続けて10年。
10年あれば見ているこちらも変わるもので、僕も10何の間に職場も仕事も二つ三つ変わりました。
僕は10年間ふらふらしているだけだったけど、最初は現場で何もできず立ち尽くすしかなかった新米フライトドクター4人とフライトナース1人は、いまやそれぞれが救命を背負って立つ、一人前の医師として後輩の指導も行う立場となっていました。
今回の劇場版は、医療ドラマとしての「コード・ブルー」のあらゆる要素を詰め込みながらも、登場キャラクター一人一人にしっかりとスポットを当て、いわば彼らの「卒業式」として、泣きながら、そして笑いながら、10年間走り続けた彼らを祝福することができる、そんな映画となっていました。
そんなわけなので、この映画はこれまでのコード・ブルーを見ていない人には意味が半分以下も伝わらない、良くも悪くも内輪向けな造りとなっています。
もちろん医療シーンや災害現場の緊迫感はよく作られていますが、それら自体はそこらの医療ドラマ並といえます。
正直、大事故とそれに立ち向かう医者たちの医療スペクタクル大作だと思って本作を観ると裏切られることでしょう。
今作では事故そのものは主人公たちの医療スキルの成長を描くための装置に過ぎずません。
しかし彼らを最初から見続けてきた者が見れば、緋山の挿管スキルに「ブラインドで一発……⁉︎」と周囲の人々が感嘆するシーンで、「あの緋山がここまでに」と思わず涙腺が緩むわけです。
10年というリアルタイムと3シーズンのテレビ放送という積み重ねが、一つ一つの描写に膨大な意味を付与し、何層にも塗り重なっていく。
わざわざくどい演出を施さなくても、今の藤川の姿に昔の無力な藤川の姿が重なって脳内再生される。
それがこの劇場版「コードブルー」の最大の武器であり、見所と言えるでしょう。
医療ドラマとして、それ以上に稀有な青春群像劇として
本編の3分の2は、予告編でも最大の見所として押し出されていた二つの事故、成田空港での飛行機の不時着と海ホタルへのフェリー衝突事故での救命活動が描かれます。
10年で研ぎ澄まされた主人公5人のスキルと、シーズン3でやっと動けるようになってきた新米4人の成長が描かれます。
災害現場以外のシーンでも、コードブルーらしく、死を前にした患者との向き合い方、脳死患者の家族との関わりなどのテーマが詰め込まれ、正解のない難しいテーマが、短い時間ながら説得力を持って描かれます。
この辺りもやはりテレビシリーズで向き合ってきた問題だからこそ、コンパクトでも勘所を外さない扱い方ができたのだと思います。
しかし、そんなこたぁいいんです!
この映画の本当の存在意義は、ラスト15分(体感)にあります。
実質的に卒業式といっていいでしょう。
これまで「コード・ブルー」を見続けてきた人達においては、最後の15分ほどのシーンで、そしてエンドロールで必ず報われます。
拍手して、祝福して、とある人物よりのまさかのサプライズに涙し、そして笑えます。
さっきまで笑っていたはずなのに、エンドロール後、まるで長年付き合ってきた同期たちと別れたかのような切ない余韻が残っていました。
こんなふうにドラマ内の時間がリアルタイムで進み、それが10年も続いて、視聴者とともに歩める作品というのは本当に稀有であるといえるでしょう。
単品作品では絶対に味わうことのできない、リアルに時間が積み重なった果てのドラマの一つの区切りに立ち会うことができる。
終わった後は、まるで自分もまた同期たちと戦い抜いたような気持ちになれる。
そういう気持ちになるように見せてくれる。
それこそがこの作品の最大の醍醐味だと思います。
コードブルーを今まで観てきた人なら、大丈夫!マストです!
どうしても言いたいやつ
最後にひとつネタバレ。
僕は藤川が大好きなんですが、ある理由で送られた藍沢から藤川へのビデオメッセージでの「今は俺がお前のようになりたい」で涙腺破裂しました。
これも長い時間を経て、色々あってのこの台詞ということですよねえ。
お幸せに!