木村拓哉と二宮和也のW主演で話題沸騰、原田眞人監督の最新作「検察側の罪人」を見てきました。
この記事では、実際に見て感じたこの映画の魅力を、極力ネタバレなしで書いていきます。
キムタクとニノの対決はどうだったか?
なんといってもこの映画を観る動機として1番あげる人が多い点は、キムタクとニノの共演だと思います。
2人の演技対決はどうだったか?
結論から言えば、素晴らしかった!
今作で2人が演じるのは検事。
木村は上司、二宮は駆け出しの部下として、共に働く間柄です。
二宮演じる沖田は、木村演じるエリート検事最上の正義を継ぐと自負しているほど彼に心酔しています。
最上もまた沖田の能力を買っていて、2人は理想の上司と部下といえる間柄です。
この2人の関係が、発生した殺人事件の調査線上に浮上した松倉という人物を巡り、ゆっくり狂い出します。
最上は法に逆らってでも自分の正義を貫こうとし、沖田はあくまで真実を重視すべきと主張します。
キャラクターとしては、木村は厳しくも激することのない大人の男、二宮は駆け出しながら有能、しかし時に感情に任せて激する若手という感じ。
あくまで木村が上というスタンスではありますが、しかしニノの、被疑者を前にした時のくせ者感もまた印象深く、ただの木村の子飼いという感じは全くありません。
そして木村拓哉もまた新境地といった演技で、今作の木村は全くヒーローとは程遠い存在です。
一見スマートでやり手のエリート検事の役どころかと思えば、中盤から後半にかけて、こんなキムタク見せていいのか、というような「激しい」演技を見せています。
はっきりいって、かっこ悪いんです。
この映画の根底に関わるシーンなのでネタバレなしでは説明できませんが、この「かっこ悪いキムタク」なくしてこの映画のテーマは語れなかったと思います。
名匠原田監督が選んだ今作のテーマ
この映画のテーマは各所で「正義とは何か」だと語られていますが、僕が見た印象はちょっと違っていて、「本当の正義なんてあるのか?」というほうがしっくりくるのです。
劇中、木村演じる最上は、松倉を裁きたいあまりに「ある行動」を起こします。
この行動を糾弾するのが本作の二宮演じる沖田の役どころとなるのですが、彼は「真実こそが正義」と信じていて、敬愛する最上を相手にしてもそれを曲げません。
では沖田に何ができたのか?
いや、立場を全く違えながら、同じく正義を標榜する二人それぞれに、何かをやり遂げることができたのか?
結末は実際に見てのお楽しみとなりますが、ここではその2人の「正義」を取り巻く不穏な背景にだけ言及しておきます。
今作で登場する不気味な犯罪者、松倉。
しかし、さらに不気味で巨大な存在が随所に顔を見せます。
最上の親友、丹野議員が戦う相手、高島グループです。
太平洋戦争を肯定し、日本を戦争国家に戻そうという思想を持つ勢力ですが、こんな思想の持ち主が実際に政局の重要な位置を占めているという危機感が、この映画の通奏低音のように流れています。
「悪」はどうしようもなくはっきりと見えています。
しかしその悪に対する正義の姿が見えない。
確かだと思った正義を成そうした時、気づけば自分も悪の側にいる。
「ただ一つの確かな正義」を求めたときに起こるこの矛盾、その危険性こそ、この映画最大のテーマなのかもしれません。
同じく「正義」を求めながら、最上も沖田も最後まで振り回され、行動は首尾一貫せず、頭を掻きむしって苦悩します。
その様はドストエフスキー「罪と罰」の物語に酷似しながら、しかし非常に現代的でもあります。
キムタクとニノの「対決」として売り出される今作ですが、それはある意味間違いありません。
しかしこの2人は強い信念を元に行動するものの、その行動のもたらす結果に戸惑い、迷ってばかりいます。
さらに独自の目的を持ち動く橘(吉高由里子)、独特の原理で動く裏社会の執行者ともいうべき諏訪部(松重豊)らも絡み、世界の複雑さ、複層性が描き出されます。
単純な信念の対決という構図だけでは測れない、「悪」との戦いが「正義」には難しくなってしまった社会。
それが、この「検察側の罪人」が描き出した現代社会の姿でした。