怪盗シネマ

cinema,book,boardgame

自閉症のダコタがスタートレックの脚本を届ける旅。「500ページの夢の束」ネタバレ感想

ダコタ・ファニングが自閉症の女性を演じる「500ページの夢の束」を見てきました。

あらすじ

自閉症のため人とうまくコミュニケーションができず、日常生活を送るための訓練を受けているウェンディ。

彼女は大のスタートレックマニアであり、スタートレック脚本コンテストに応募するため作品を書き上げる。

しかしトラブルから脚本の締め切り期日までの郵送に間に合わなくなり、自分の足でロサンゼルスのパラマウントピクチャーズまで届けることに。

毎日決まったルーティンをこなすだけだったウェンディの初めての冒険がはじまる。

www.youtube.com

大人になったダコタの、少女のような演技

言わずと知れた名子役として名を馳せたダコタ・ファニング。

しかし長じてからは露出も少なくなり、僕もこの映画で何年振りかに彼女を見ました。

美人さんになって……。

しかしどこか子役時代の少女ぽさも感じられて、今回のトレッキーな自閉症女性という役どころにぴったりの配役だったと思います。

スタートレックマニアの紳士諸兄におかれては、この映画でのダコたんには萌えて萌えてしょうがないのでは。

 

スタートレックとは、宇宙船エンタープライズ号のカーク船長や宇宙人スポックなどの仲間たちが未知の宇宙を冒険するSFシリーズであり、今作の主人公ウェンディの旅もスタートレックにおける未知への旅と重ね合わされています。

スタートレック好きは「トレッキー」と呼ばれ、マニアともなれば膨大な物語や設定を語り出して止まらない一大コンテンツです。

 

ウェンディは姉家族と暮らすために日常生活の訓練を受けながら、スタートレック脚本コンテストの話を知り、一心不乱に作品を書き上げていきます。

人生ではじめて、創作という行為を通じて、自分の大切なものへと積極的に関わることを決めたウェンディ。

それは単純なファン精神だけではなく、賞金で生家を売りに出さなくて済むように、ひいては自分が再び姉と一緒に暮らせるようにするという目的もあっての行動でした。

 

トラブルのため郵送に間に合わなくなり、書き上げた脚本を届けるためにロサンゼルスへの270kmの旅を始めるウェンディ。

愛犬ピートが一緒ではあるものの、人生初の1人旅は全くスムーズにいきません。

旅の途中で出会う人々の無情さ、悪意、そして時に善意。

その割合がなんとも生々しい混ざり方で、あー、だいたい見知らぬ人の態度の割合ってこんな感じじゃないかなと思わされます。

 

「優しい眼差し」で見つめる「優しくない世界」

この映画は優しい映画ではありますが、いわゆる「優しい世界」を描いた映画ではありません。

ウェンディの挑戦を見つめるカメラの視線、つまり観客の視線は優しいものですが、ウェンディを取り巻く世界は決してウェンディに都合のいいように動いてくれるようにはなっていません。

iPodを盗まれ、乗った車が事故に遭い、大切な脚本がばら撒かれる。

多難なウェンディの旅路を、どこまでもウェンディに寄り添い、しかし決してウェンディと同化することなく淡々と外から見守っていく。

それがこの映画の「視点」です。

 

観客の「上から目線」を覆すウェンディの執念

日常生活もうまくこなせないウェンディが、旅の途中で困難に見舞われ、なんとか乗り越えて進むたびに、僕ら観客は「いいぞ、よくやってるぞ」と心中で声援を送ります。

しかし、自分でもうっすら自覚があったのですが、その立場はどこか上から目線で、「普通のことを普通にできる」という自分の立場から「えらいぞ」というニュアンスを含んだものであったことは否定できません。

そんな自分の上から目線が、明確に覆されるシーンがありました。

 

ウェンディは事故で運ばれた病院から抜け出す際に、大切な原稿を地面にばら撒いてしまい、100ページほどを失ってしまいます。

期日は翌日。

元データもなく、もうどう考えても応募は絶望的な状況で、ウェンディはなんと不足した分を別の紙に手書きで書き始めるのです。

これは、きっと僕にはできません。

家にいるわけではないのです。

もちろんパソコンもワープロも、スマホすらありません。

見知らぬ土地の道端で、先の見通しも立たないその状況で、身を屈めて原稿を手書きするウェンディを見た瞬間、僕は彼女を見上げる立場となりました。

 

この映画はきっと「物語る」ことを肯定する映画です。

普段の生活がうまくできなくて、人との日常会話もおぼつかないウェンディが、唯一他者のことを考え抜き、他者に向かって全力を尽くせることが「物語」でした。

それまでのウェンディは、ときたま処理できない問題を前にすると感情のコントロールを失い、なんでもないことでも癇癪を起すという問題を抱えていました。

しかし、たどり着いたパラマウントで原稿を手渡ししようとして「手続きが違う」と断られたとき、ウェンディは初めて「癇癪」ではなく「怒った」のでした。

明確に、自分がやってきたことを侮った人間に対して、じつに正当に怒ることができたのです。

自分の決めた道を執念で歩き切り、その結末までをすぐそばで見守っていた観客には、もうウェンディが頼りない自閉症の女性には見えません。

「物語」を綴るというのは、自分の声を聴くということです。

自分という存在を見つめなおし、自分が持っているものに自信を持つことができたウェンディは、やっと姉とその赤ちゃんの元へ胸を張って帰ることができました。

 

秋のはじめにおすすめ

この映画は音楽も自分好みで、全般的にエレクトロニカ系のBGMが淡々と流れているのですが、それがウェンディの旅を一歩引いたところから優しく見守っているような印象を与えます。

悪い奴も、ひどい事態も起こりますが、このBGMのおかげであまり悲壮にならないんですね。

スタートレック好きのダコタ・ファニングの旅、というところが気になって見てみた本作ですが、なんとも不思議な透明感に満ちたさわやかな映画でした。

秋のはじまりに見るのにオススメの作品です。