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しばらく釘は見たくない。「クワイエット・プレイス」ネタバレなしレビュー

「音を立てたら、即死。」
実にシンプルでわかりやすく、それでいてかなりの理不尽っぷりを感じるコピーです。
映画「クワイエット・プレイス」は、音に反応する怪物によって滅亡の危機に瀕した世界の片隅でひっそり生存する家族が、いかに沈黙を保ちながら生活していくかを描いたホラームービーです。

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監督ジョン・クラシンスキーは父親役として出演もしており、役者としてはトム・クランシー原作のドラマ「ジャック・ライアン」で主演を務めることが決まっており、今後の活躍が要チェックなお人ですね。
今作で夫婦役として共演のエミリー・ブラント(「ボーダーライン」)は実生活でも夫婦だそうです。
聾唖の娘役に実際に同様の障がいを持つ俳優ミリセント・シモンズ。
弟役にノア・ジューブ。
とにかく出演陣の演技が素晴らしく、音を出してはいけないという特殊で理不尽な生活環境への適応、常に死と隣り合わせであるというストレスなどをリアリティ満点に演じています。
脚本を監督・出演でもあるジョン・クラシンスキーが自ら書き、また原案としてスコット・ペック、ブライアン・ウッズがクレジットされています。
製作には「ミスター派手映画」マイケル・ベイが名を連ねますが、映画にはマイケル・ベイ色は一切ありません。
彼の設立によるホラー製作会社「プラチナム・デューン」が製作しています。
そして本作ではかなり本質的に重要な役割を担う音楽を「スクリーム」「バイオハザード」などを手がけたマルコ・ベルトラミが担当。
このあたりの配役が実に露骨にホラーしてますね。
 
この記事ではネタバレを避けて感想や観るうえでのポイントを述べていきますので、観ようと思ってるけどどんな感じかな、と思ってる方はぜひお読みください。

あらすじ

音に反応し人間を襲う“何か”によって荒廃した世界で、生き残った1組の家族がいた。
その“何か”は、呼吸の音さえ逃さない。誰かが一瞬でも音を立てると、即死する。
手話を使い、裸足で歩き、道には砂を敷き詰め、静寂と共に暮らすエヴリン&リーの夫婦と子供たちだが、
なんとエヴリンは出産を目前に控えているのであった。
果たして彼らは、無事最後まで沈黙を貫けるのか――?

「音」をめぐる恐怖演出

ルールはシンプル、「音を立てたら死ぬ」。
正確には、ささやき声やすり足程度の音なら平気ですが、普通の発声や物を落とす音などはほぼアウトです。
「声や音を立ててはいけない」というシチュエーションそのものは恐怖演出の常套手段ですが、それが一時的でなく、生活の常態となってしまったとしたら。
それが「クワイエット・プレイス」の描きたかった世界です。
この作品の真の主役は「音」そのものです。
音を立てたら死ぬということは、何をしたら音が出るかということを全面的に見直す作業でもあります。
そうして実際に見つめなおされた結果、この映画にはかつてないほどの「音」に関するアイデアが盛り込まれています。
床が軋む音はもちろん、洗濯の水音、草をかき分けるガサガサという音のひとつひとつが怪物を呼びかねず、常にアウトとセーフの閾値を手探りする状態です。
手が滑ってランタンを転がしただけで一家が全滅しかねない。
そんな世界において、しかも長女は生まれつき聴覚に障がいを抱えているのです。
音を立ててもわからない人間が、音を立てると死ぬ世界で生きる。
ザ・無理ゲー。。
また、母親は出産もします。
とにかく危険です。
いきむ声、赤ん坊の産声、どれひとつとっても到底見逃されない音です。
この映画のまず第一のツッコミどころといってもいいのが、この妊娠・出産ですね。
「やめておけ」という空気で全劇場がひとつになります。
しかし恐怖演出という点について、この出産というアイデアは実に秀逸でした。
「酸素ボンベ付き防音ベビーベット」とかいう無茶なシロモノが出てきた時点で「なるほど」と思うわけもなく嫌な予感全開。
流れからだいたい想像できるとは思うのですが、しかし恐らく想像を超えてえらいことになっていきます。
僕はこの「出産」シーンの間、いつのまにか肘掛を握りしめ、顔は硬直し、呼吸も忘れていました。
ほとんどギャグのような、ふんだり(!)蹴ったりどころではない、極悪ピタゴラスイッチのようなひどい災難に見舞われたうえ、声一つあげてはならないという、「もう泣かせてあげて」と見ている側が懇願したくなるような、映画史屈指の悲惨なシーンとなっていますので、ぜひ劇場でご覧ください(笑)
この映画はとにかくシンプルに、「音を立てないようにしている人間に音を立てさせるには」というアイデアが悪魔的にうまいのです。
 

世界の終わりに夢見る家族像

世界の状況について、映画はほとんど説明しません。
父親が壁に貼っている新聞記事のみがかろうじて断片的に状況を語ります。
世界中に音に反応する怪物が現れ、人類は滅亡寸前のようです。
一家以外に生存者がいるのかもわかりません。
ライフラインは全滅。
何の希望もないまま、一家はその日その日を生き延びていきます。
しかし、そんな特殊な状況においても家族は家族であり、家族だからこそのすれ違いも抱えています。
この映画は、ある意味で理想の父親・母親を、助け合う理想の家族像を描いており、さらにうがった見方をすれば、世界が終わりに差し掛かって初めて、父親が理想の父親になれたというお話でもあります。
父は常に家を守り、息子に生き残る術を教え、娘の問題につきっきりで取り組みます。
会社の仕事に忙殺される日常ではもはや夢見ることも叶わない父親像が、世界が壊れたことで初めて可能になる。
アポカリプス後の廃墟に満ちた世界に、絶望感だけでなく、そこでの生活にちょっとワクワクしてしまうのは僕だけではないはずです。
ジョン・クラシンスキーが、他ならぬ妻エミリー・ブラントとの共演においてこうした父親像を描いているのは、偶然ではないでしょう。
 

ホラー映画史に残るのは間違いなし!

久しぶりに劇場で見たホラー映画となりましたが、いやあ、しんどかったです。
90分と短い上映時間に、これでもかと詰め込まれたスリル演出。
映画館という特殊な空間を最大限に活用した「音」に関するアイデアの数々は、やはり劇場でしか味わえない種類のものかと思います。
映画館という場所は、静かにしていなくてはいけない場所です。
つまり、自動的に我々観客と劇中人物の心理は同期してしまい、いつのまにか作品世界に入り込んでしまうんですね。
設備うんぬんの問題でなく、「映画館で映画を観る」という行為そのものを作品に取り入れるという着眼点にとにかく脱帽です。
4DXでも3DでもVRでもない、新たな「体感」型ムービー。
ぜひ、この作品は静まり返った劇場でご覧ください!