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最も説得力のある宇宙を描く作家が描く「海」 小川一水「群青神殿」レビュー(ネタバレなし)

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小川一水「群青神殿」ハヤカワ文庫JA、2019年。

今年の頭に超大作「天冥の標」全10巻を完結させたSF作家小川一水が、2002年にソノラマ文庫から出したタイトルの復刊。

「小川一水の描く『海』『空』『陸』」という帯で、今作の他にも「疾走!千マイル急行(上・下)」「ハイウイング・ストロール」の2作品が装丁も新たにハヤカワ文庫から同時復刊されている。

筆者が小川一水を知ったのは「天涯の砦」が出た頃で、おそらく当時大学生だったかと思うが、その頃にはもう小川一水は本格SFの書き手としてだいぶ売れていたようだ。早川書房より出した「第六大陸」で星雲賞を受賞し知名度が上がったということだが、それ以前の作品はなかなか新刊では手に入りにくい状況だったので、今回の復刊は素直に嬉しいし、復刊というよりは小川一水の新刊が一挙3作も刊行されたように感じ、「天冥」完結からしばらくはペースダウンするのかと思っていたファンとしてはちょっとしたサプライズプレゼントでもあった。

さて、本書の内容だが、舞台は帯と表紙が示すとおり、ずばり海洋。主人公であるメタンハイドレート試錐艇「デビルソード」のパイロット鯛島俊機と見河原こなみは、とある自動車運搬船の沈没事故の調査を依頼される。それはいまだ人類が遭遇したことのない謎の存在「ニューク」を巡り世界中を巻き込む一連の騒動の始まりだった。「ニューク」をめぐって日本海自が、フランス、フィリピン海軍が、そして強大なアメリカ第7艦隊までもがそれぞれの思惑を胸に活動を開始する。はたして「ニューク」の正体は何なのか。船舶を襲い沈めてしまう「ニューク」によって海から締め出された人類は、再び海を取り戻すことができるのか。

本作の主役は、メタンハイドレート試錐艇「デビルソード」のパイロット鯛島とこなみ、そして支援母船「えるどらど」の乗員たちだ。いつでも冷静沈着でややテンション低めな鯛島、海を愛し海に愛される天真爛漫なこなみの主人公コンビのほか、できるキャリアウーマンと欲望に忠実な海洋生物学者の顔を併せ持つ仙山悠華、しぶい歴戦の船長伯方といった、1巻読み切り作品とは思えないほどキャラ立ちの濃い面々が登場してくる。特に、小さな漁船の主にして、元フィリピン海軍少将、かつて軍事演習で唯一アメリカ海軍の鼻をあかした伝説の「白髭提督(アドミラル・ゴーティー)」の異名でアメリカ第7艦隊司令を狼狽えさせる静かなる海の男アルワハブは、彼のスピンオフで軽く長編が書けそうなほど魅力的なキャラクターだ。

そんな彼らが挑むのは、砲弾をも跳ね返す強固な外殻を身にまとい船舶を襲撃する謎の存在「ニューク」。この謎の存在をめぐり世界各国の海軍がしのぎを削る中、「えるどらど」もまた「ニューク」の謎をつかむために騒動に身を投じていくことになる。

 

小川一水の魅力である、船やメカニックについてのリアリティ溢れるディテール描写は、この頃からもうしっかり根付いていた(本人はあとがきにて「ディテール控えめ」と書いているが、個人的には物語の邪魔にならない必要充分な配分に感じた)。

小川一水の魅力は、地に足のついた誠実な科学考証と、読者をぐいぐい引っ張るストーリーテリング、そして地に足がついた地点からいつのまにか見たこともない風景を見せてくれる構想力だと思う。

「地に足のついた科学考証」というのがどんなものか。最も説得力のあるエピソードは、「SFの書き方『ゲンロン 大森望 SF創作講座』全記録」内で、小川一水が講師として檀上に立った回の冒頭の記述だろう。小川は、教壇や机、椅子や床材など、室内のあらゆる道具の材質を諳んじてみせた。あるいは科学の徒なら当たり前の教養であるのかもしれないが、この「高校までの理系科目なら現役で毎回100点とれそう」感が小川一水の作品にどっしりとした安定感とリアリティを与え、科学の素人である私などをも含む読者に安心して物語に没頭させてくれるのだ。

余談だが、この「目に入るもの全ての名前を言える」ことは、作家を目指す人間にとっても非常に重要で普遍的なスキルかと思う。名前を知らないものについては書けないのだ。こういう点をとっても、小川一水という作家は「当たり前のことを当たり前にやり続ける」作家という印象を持っている。その結果として、誰も見せえなかったビジョンを描ける作家なのだ。

 17年前に書かれた本作でも、その安定感は健在。決して飛躍せず(しているように見せず)、リアリティを放棄しないまま「未知の海洋」を描き出すことに成功している。